認知症の口座凍結対策|成年後見以外の8つの選択肢を行政書士が解説

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はじめに──この記事が目指すこと

親の入院が決まり、施設への入所も見えてきた。まとまったお金が要る。久しぶりに親の通帳を手に取ったとき、頭の片隅に、いつか聞いた言葉が浮かびます──「認知症になると口座が凍結される」。この口座、まだ普通に下ろせるのだろうか、と。

「親はもう、細かいことがあやしくなってきた」。そんな漠然とした不安が、通帳を持つ手に重なる。この場面から相談に来られる方は、とても多いのです。そして決まって、こう聞かれます。「じゃあ、今すぐ成年後見の手続をしたほうがいいんでしょうか」と。

この記事では、その問いに「すぐ手続を」とも「まだ大丈夫」とも申し上げません。かわりにお渡ししたいのは、あなたが自分の家の事情に当てはめて、自分で判断するための材料です。制度の名前を覚えていただく必要はありません。読み終えたときに「うちの場合は、何が問題で、どの順番で考えればいいのか」が見えていれば、それで十分です。

結論を先にお伝えします。「認知症になると口座が凍結される」という言い方は、正確ではありません。とはいえ「だから何も心配いらない」わけでもない。本当のところは、この両極端のあいだにあります。少しだけ込み入っていますが、その現実を一つずつほどいていきましょう。

その前に、背景となる数字を一つだけ。厚生労働省の研究班の推計では、2022年時点で認知症の高齢者は約443万人、その前段階にあたる軽度認知障害(MCI)は約559万人。合わせると1,000万人を超え、高齢者のおよそ3.6人に1人にのぼります。2040年には認知症だけで584.2万人になるとも見込まれています。つまりこれは、どこか特別な家庭の話ではなく、多くの家庭がいずれ向き合うことになる、身近なテーマなのです。

① まず、「認知症で口座凍結」の思い込みを整理する

「口座凍結」は法律用語ではない

意外に思われるかもしれませんが、「口座凍結」という法律はありません。民法にも銀行法にも出てきません。実務上の通称です。

では何が起きているのか。銀行の預金は本人の財産です。だから払い戻すときは、本人の意思を確認する必要がある。全国銀行協会が2021年2月18日に公表した「金融取引の代理等に関する考え方および銀行と地方公共団体・社会福祉関係機関等との連携強化に関する考え方」は、冒頭でこう述べています。

銀行の預金は基本的には本人の資産であり、預金を払い出す場合には預金者本人の意思確認が必要となるため、家族といえども預金者の預金を払い出すことはできない。

ポイントは、これが認知症になったから始まる話ではないということです。もともと家族は他人の預金を勝手に下ろせません。認知症は、その原則が表面化するきっかけにすぎないのです。

「認知症の診断=即凍結」ではない

ここが最大の誤解です。診断書が出た瞬間に、全国の銀行のシステムが連動して口座に鍵がかかる──そんな仕組みは存在しません。銀行と病院はつながっていません。介護保険の認定情報も銀行には流れません。

銀行が本人の状態を知るのは、たとえばこういう場面です。

・窓口で本人と話して、意思確認ができないと判断されたとき

・家族が「本人が認知症で来店できないので、代わりに手続したい」と申し出たとき

・大きな金額の引出しや解約、定期預金の中途解約などで、本人確認が必要になったとき

つまり、銀行が知る契機があって初めて、取引の制限が検討されます。逆に言えば、家族が何も言わず、本人も窓口に行かなければ、銀行は状態を把握しません。この事実が、次に述べる「実態」を生んでいます。

「凍結」されても、全部が止まるわけではない

仮に取引が制限されても、公共料金や介護施設利用料の口座振替は、通常そのまま継続します。年金の入金も止まりません。「一円も動かせなくなる」というイメージとは、だいぶ違います。

制限がかかりやすいのは、まとまった金額の払戻し、定期預金の解約、投資信託などの金融商品の売却、住所変更や名義に関わる手続といった場面です。

② 次に、口座凍結をめぐる生活実態を知る

実際には、多くの家庭でお金は動いている

きれいごとを抜きにして言えば、認知症の親や配偶者の生活費を、家族がキャッシュカードで引き出して回している家庭は、たくさんあります。暗証番号を教わっていて、ATMで月々の生活費を下ろす。施設費を払う。日用品を買う。これが現実です。

全国銀行協会自身が、この実態を認めています。同じ資料に、こうあります。

銀行の実務においては、ご家族に成年後見制度の利用を促しても、月々の費用や、第三者に家族の資産を委ねることへの抵抗感等を理由に制度を利用してもらえないケースがある一方、本人の医療費、施設入居費、生活費等の支払いに充当するため、親族等への預金の払出し(振込)を求められるケースも多々ある。

「多々ある」と書かれています。業界団体が公式に認めている実態です。

ただし、正直に申し上げておきます。家族がATMで本人のカードを使うことは、法的にきれいな行為ではありません。 多くの銀行の預金規定では、キャッシュカードを本人以外が使うことを認めていません。それでも事実上動いている、というのが正確な描写です。「だから大丈夫」でも「だから今すぐやめるべき」でもなく、そういうグレーな状態の上に多くの家庭の生活が乗っている、ということです。

銀行の対応も、少しずつ変わってきた

2021年の全銀協の考え方は、代理権のない親族からの引出し依頼について、一定の場合に応じる余地を示しました。ただし、その位置づけは慎重です。

親族等による無権代理取引は、本人の認知判断能力が低下した場合かつ成年後見制度を利用していない(できない)場合において行う、極めて限定的な対応である。成年後見制度の利用を求めることが基本であり、成年後見人等が指定された後は、成年後見人等以外の親族等からの払出し(振込)依頼には応じず、成年後見人等からの払出し(振込)依頼を求めることが基本である。

「極めて限定的な対応」。この表現は重要です。ここを飛ばして「銀行が家族の引出しを認めるようになりました」とだけ説明するのは、ミスリードです。

応じる余地があるのは、次のような場合とされています。

認知判断能力を喪失する以前であれば本人が支払っていたであろう本人の医療費等の支払い手続きを親族等が代わりにする行為など、本人の利益に適合することが明らかである場合に限り、依頼に応じることが考えられる。

確認方法としては、本人との面談、診断書の提出、担当医からのヒアリング、診断書がない場合は複数の行員による本人面談や医療介護費の内容等のエビデンス確認、対面が難しい場合は非対面ツールの活用などが挙げられています。

そして、この考え方には注記があります。「あくまで無権代理におけるリスク許容の考え方の一例であり、無権代理の親族等からの払出依頼に応じることによるリスクは伴う」。つまり銀行側もリスクを承知で例外対応しているのであって、家族に権利があるわけではありません。

さらに言えば、これは全銀協が示した「考え方」であって、法令ではありません。実際にどう運用するかは各行の判断です。同じ事情でもA銀行は応じ、B銀行は断る、ということが起こり得ます。

③ 法律上できること・できないことを区別する

ここが、この記事でいちばん大事な部分です。「家族ではどうにもならないこと」を正確に知ることが、判断の出発点になります。

家族が事実上できてしまうこと

・本人のカードを使ったATMでの生活費の引出し(前述のとおり法的にはグレー)

・口座振替による公共料金・施設費の支払い

・日用品の購入など、日常の細かな支出

家族では代替できない「法律行為」

一方、次のような行為は、本人に代わって行う正式な権限がなければ、原則としてできません

不動産の売却──実家を売って施設費に充てたい、というケース。売買契約は本人の意思能力が必要で、認知症が進んでいれば本人は契約できず、家族が代わりに契約する権限もない

遺産分割協議──親が亡くなり、認知症の母が相続人にいる場合。母が協議に参加できなければ、協議は成立しない

定期預金の解約や、まとまった財産の処分

利益相反のある財産管理──たとえば子が親の財産から自分に贈与するような場面

重要な契約──施設の入所契約でも、内容によっては問題になる

訴訟行為──本人が原告・被告になる場合

成年後見制度の本質は、ここにあります。「生活費を下ろす制度」ではなく、「本人に代わって法律行為を行う制度」です。この理解が抜けると、制度の選び方を間違えます。

データが示す「実際の使われ方」

もっとも、統計を見ると話はもう少し複雑です。最高裁判所事務総局家庭局「成年後見関係事件の概況──令和7年1月〜12月」によれば、申立ての動機(複数回答、終局事件42,674件が母数)は次のとおりです。

申立ての動機件数割合
預貯金等の管理・解約39,871件93.4%
身上保護31,655件74.2%
介護保険契約19,502件45.7%
不動産の処分15,502件36.3%
相続手続10,909件25.6%
保険金受取7,578件17.8%
訴訟手続等2,613件6.1%

「預貯金等の管理・解約」が93.4%で最多です。これをどう読むか。

「やっぱりみんなお金を下ろすために使っているじゃないか」と読むこともできます。ただ、この項目には定期預金の解約や口座の整理といった、家族では手が出せない手続が含まれています。日々の生活費のATM引出しのためだけに、月々の報酬を払って後見人を付けている、という話ではありません。

正確に言えばこうです。多くの人は「預金が動かせない」という入口から相談に来る。しかし実際に後見が必要になるのは、その中でも家族では代替できない法律行為が必要な場面である。 入口と本質がずれているのです。

④ 各制度を比較する

「困っている」→「じゃあ成年後見」と直結させないために、選択肢を並べます。それぞれ、向いている場面がまったく違います。

1. 法定後見(後見・保佐・補助)

すでに判断能力が低下している人のための制度です。家庭裁判所に申し立て、後見人等が選ばれます。

向いている場面:不動産売却、遺産分割協議など、いま現に法律行為が必要

注意点:後述しますが、家族が後見人になれるとは限りません

2. 任意後見契約

判断能力があるうちに、将来支援してもらう人と契約しておく制度です。公正証書で作ります。判断能力が低下したあと、家庭裁判所が任意後見監督人を選任して効力が生じます。

向いている場面:まだ元気で、将来の支援者を自分で選びたい

注意点:利用者数は2,833人(令和7年12月末)と、まだ非常に少数です

3. 財産管理委任契約

判断能力はあるが、身体が不自由で銀行に行けない、といった場合の契約です。

向いている場面:判断能力に問題はないが、動くのがつらい

注意点:本人の判断能力低下後は使えない(この点で任意後見とセットで設計することが多い)

4. 家族信託(民事信託)

財産を家族に託して管理してもらう仕組みです。信託した財産については、本人の判断能力が低下しても受託者が管理・処分できます。

向いている場面:自宅や収益物件など、特定の財産の承継・管理を柔軟に設計したい

注意点:設計に専門知識が要り、初期費用もかかります。身上保護(介護契約など)はカバーしません

5. 死後事務委任契約

亡くなったあとの葬儀、納骨、各種手続を委任する契約です。

向いている場面:おひとりさま、頼れる親族がいない

注意点:生前の財産管理は別の仕組みが必要

6. 遺言

亡くなったあとの財産の行き先を決めるものです。

向いている場面:相続でもめる可能性がある、法定相続と違う分け方をしたい

注意点:生前の判断能力低下には対応しません

7. 身元保証サービス

施設入所や入院時の身元保証人を引き受けるサービスです。

向いている場面:身元保証人になってくれる人がいない

注意点:事業者の質に幅があります。契約前に内容と費用の確認を

8. 見守り契約

定期的に連絡・訪問して状況を確認する契約です。任意後見と組み合わせて使われます。

向いている場面:一人暮らしで、判断能力低下のタイミングを誰かに見ていてほしい

9. 現時点では何もしない

これも正当な選択肢です。

いま困っていない。当面、不動産を売る予定もない。相続の話も出ていない。であれば、慌てて何かを契約する必要はありません。制度は、必要になったときに必要な分だけ使えばよいものです。「何もしない」を選択肢から外して説明する専門家がいたら、少し警戒してください。

ただし、「何もしない」を選ぶなら、何が起きたら動くのかという線引きだけは決めておくことをおすすめします。「実家を売る話が出たら」「入院や施設入所の話が出たら」といった具合です。

⑤ 成年後見を選ぶ前に、知っておきたい現実

成年後見を検討するなら、次の点は事前に知っておくべきです。制度を勧める側があまり強調しない部分だからです。

実は、ほとんどの人が使っていない

最初に、いちばん大きな事実を。令和7年12月末時点で、成年後見制度(成年後見・保佐・補助・任意後見)の利用者は合計259,901人です。内訳は成年後見180,828人、保佐58,162人、補助18,078人、任意後見2,833人。前年比では2.3%の増加にとどまります。

一方、認知症の高齢者は約443万人と推計されています。単純に比べれば、認知症の方の20人に1人程度しか、この制度を使っていない計算になります。

この数字をどう読むか。「制度が知られていない」「使いにくい」という評価もできます。ただ、少なくとも言えるのは、認知症になった大多数の家庭は、成年後見を使わずに日々を回しているということです。「認知症になったら後見が必要」が一般的な事実だとしたら、こんな数字にはなりません。

だからこそ、「使わない」という選択が異常なのではなく、「必要な場面で使う」ことが本来の姿だと考えています。

家族が後見人になれるとは限らない

これがいちばん誤解されています。最高裁の令和7年統計では、成年後見人等と本人との関係別件数42,732件のうち、

親族が選任されたもの:7,014件(16.4%)

親族以外が選任されたもの:35,718件(83.6%)

親族以外の内訳は、司法書士11,966件、弁護士8,903件、社会福祉士7,280件、市民後見人390件などです。

つまり、後見人の8割以上は専門職などの第三者です。「長男が後見人になって財産を管理する」というイメージで申し立てると、想定と違う結果になることがあります。

なお、申立書に親族を候補者として記載している事件は19.7%にとどまります。そもそも親族が候補者として立っていないケースが多い、という事情も反映されています。

誰が申し立てているか

申立人の内訳(令和7年、母数42,829件)も、イメージと違うかもしれません。

・本人:10,620件(24.8%)

・市区町村長:10,139件(23.7%)

・子:7,929件(18.5%)

・兄弟姉妹:4,545件(10.6%)

・その他親族:4,401件(10.3%)

・親:2,185件(5.1%)

・配偶者:1,711件(4.0%)

最多は本人自身です。そして市区町村長申立てが約4分の1を占めます。身寄りのない方について、行政が動いているということです。

費用は継続的にかかる

専門職が後見人になった場合、報酬が発生します。東京家庭裁判所が公表している「成年後見人等の報酬額のめやす」では、

・基本報酬:月額2万円

・管理財産額が1,000万円超〜5,000万円以下:月額3万〜4万円

・管理財産額が5,000万円超:月額5万〜6万円

あくまで「めやす」で、実際の額は家庭裁判所が個別に決めます。ただ、月2万円でも年24万円。10年続けば240万円です。この負担を、判断材料に入れないわけにはいきません。

手続にかかる時間は、思ったより短い

一方で、「何か月もかかる」というイメージは、現在の統計とは合いません。令和7年の終局事件42,674件のうち、

・2か月以内に終局:71.1%

・4か月以内に終局:93.8%

鑑定が行われた事件は全体の3.4%にすぎず、鑑定費用も85.8%の事件で10万円以下でした。「鑑定に何十万もかかる」という説明も、現状とはずれています。

いったん始めると、原則やめられない(ただし変わります)

現行制度では、本人の判断能力が回復しない限り、後見は本人が亡くなるまで続きます。「不動産を売るために後見を付けたが、売却が終わっても後見は続き、報酬も払い続ける」という点が、長く批判されてきました。

この点が、次に述べる改正で変わります。

2026年の民法改正──制度は大きく変わる

ここは、いま相談を受けるうえで避けて通れない論点です。

2026年6月17日、「民法等の一部を改正する法律」が成立しました(同年6月24日公布、法律第45号)。成年後見制度に関する部分は、公布の日から2年6か月を超えない範囲内で政令が定める日に施行されます。つまり、遅くとも2028年12月24日までには施行されます。

法制審議会が2026年2月12日に答申した「民法(成年後見等関係)等の改正に関する要綱」を踏まえたもので、主な方向性は次のとおりです。

3類型の一元化

現行の「後見・保佐・補助」という3類型を廃止し、補助に一元化します。本人の判断能力の程度で人を振り分けるのではなく、必要な支援を必要な範囲で組み立てる方式へ変わります。

ただし例外として、事理弁識能力を欠く常況にある人について、必要性がある場合に限り、類型的な取消権を持つ特定補助人を付する処分が設けられました。日本弁護士連合会は2026年2月12日の会長声明で、この特定補助人制度について「限定的かつ厳格な実務運用及び同処分の将来的な規定の要否について、政府における検証が求められる」と指摘しています。

必要性の原則──終身利用からの転換

改正では必要性の原則が採用され、必要がなくなれば終了できる制度になります。日弁連の会長声明は「必要性がなくなれば終わることができる制度とした」と述べています。「不動産の売却が終わったら後見も終わる」という使い方が、視野に入ってきます。

本人の意思尊重の強化

後見人等の交代をしやすくし、また本人の意向を把握しなければならない旨を定めて、本人の意思尊重義務をより重視する内容になっています。

いま相談を受ける立場からの注意

大事なのは、施行はまだ先だということです。いま申し立てれば、動くのは現行制度です。「2028年まで待てばいい」と単純化するのも危険で、いま実家を売らなければ施設費が払えない家庭に「待ちましょう」とは言えません。

一方で、「いま後見を付けると一生やめられませんよ」という説明も、改正を踏まえれば正確ではなくなりつつあります。改正法の施行後、既存の利用者がどう扱われるかは経過措置の内容次第で、今後政省令や運用指針で具体化されていきます。

現時点で誠実に言えるのは、「制度は必要最小限の介入へ向かっている。だから、いま慌てて不要な制度を利用する必要はない。ただし、いま必要なことは現行制度で対応するしかない」ということです。

よくある4つのケースで考える

抽象論だけでは判断できません。相談の現場でよくある場面を、判断の筋道つきで並べます。ご自身の状況に近いものがあれば、そこから読んでください。

ケース1:母が認知症。実家を売って施設費に充てたい

結論から言えば、法定後見がほぼ避けられない場面です。

不動産の売買契約には、売主本人の意思能力が必要です。母に意思能力がなければ契約は成立しません。仮に契約書に署名させても、あとから無効を主張される余地が残り、買主も登記手続を進められません。子が代わりに契約する権限も、当然にはありません。

「実家の名義を先に子に変えておけば」と考える方もいますが、名義変更そのものが法律行為ですから、同じ壁にぶつかります。

さらに、売る不動産が本人の居住用であれば、後見人がついても家庭裁判所の許可が別途必要です(民法859条の3)。「後見人になれば自由に売れる」わけではありません。

判断のポイントは、本当に売る必要があるのかです。年金と預貯金で施設費が回るなら、売らないという選択もあります。売却は、必要になった時点で検討すれば足ります。

ケース2:父が入院。生活費は下ろせているが、この先が不安

すぐに動く必要はない可能性が高い場面です。

いま生活が回っているなら、それは銀行が状態を把握していないか、把握したうえで日常の範囲として扱っているかのどちらかです。ここで慌てて銀行に「父が認知症で」と申し出ると、かえって取引が制限されることがあります。

かといって、黙っていれば安全というわけでもありません。前述のとおり、家族によるカード利用は法的にグレーですし、いずれ大きな手続が必要になれば同じ問題が表面化します。

現実的なのは、線引きを決めておくことです。「実家を売る話が出たら」「まとまった額の解約が必要になったら」「相続が発生したら」──そのときに専門家に相談する、と決めておく。それだけで、慌てて不要な契約をするリスクは減ります。

もし父にまだ判断能力が残っているなら、この時期に任意後見や財産管理委任を検討する価値は十分にあります。「まだ大丈夫」と「もう遅い」の間は、思ったより短いからです。

ケース3:父が亡くなり、相続人に認知症の母がいる

遺産分割協議が必要かどうかで、答えが分かれます。

遺産分割協議は法律行為です。母に意思能力がなければ協議は成立せず、成立させても無効になり得ます。したがって、協議が必要なら法定後見の申立てが避けられません。

ただし、協議が不要なケースもあります。父が遺言を残していて、財産の行き先がすべて指定されているなら、協議そのものが要りません。「相続させる」旨の遺言(特定財産承継遺言)であれば、その財産を取得する相続人が単独で相続登記を申請できます。

ここで注意していただきたいのは、後見人が就いた場合、後見人は母の法定相続分を確保する方向で動くのが原則だということです。「母は施設にいるから、実家は同居していた長男が全部相続する」といった、家族の間では自然に思える分け方が通らなくなることがあります。この点は、申し立てる前に理解しておくべきです。

なお、相続人の間ですでに対立が生じている場合、その交渉や調停の代理は弁護士の業務です。行政書士が扱えるのは、争いのない場面での書類作成に限られます。

ケース4:おひとりさま。頼れる親族がいない

単一の制度では足りず、組み合わせで設計する場面です。

「判断能力が低下したとき」と「亡くなったあと」は、別の問題です。ひとつの契約では両方をカバーできません。典型的には、次のように組み合わせます。

・元気なうち:見守り契約で定期的に状況を確認

・判断能力低下後:任意後見契約(見守り契約とセットで作るのが一般的)

・施設入所・入院時:身元保証サービス

・亡くなったあと:死後事務委任契約(葬儀・納骨・各種解約)+遺言(財産の行き先)

費用はかかります。しかし、身寄りのない方が何も準備しないまま判断能力を失うと、市区町村長申立てによって法定後見が始まることになります。実際、令和7年の申立ての23.7%(10,139件)が市区町村長申立てです。「誰かが何とかしてくれる」のではなく、「行政が最後の手段として動く」というのが実態です。

自分で選べるうちに自分で選ぶ。おひとりさまにとって、この差はとりわけ大きいと考えています。

不安を煽って契約を急がせる勧誘には、要注意

ここで一つ、立ち止まってお伝えしておきたいことがあります。この分野には、不安を煽って高額な契約を急がせる勧誘が、残念ながら存在します。相続や終活への関心が高まるほど、それを狙う動きも増えます。

手口は、たいてい似ています。「認知症になったら口座は凍結され、家族は一円も動かせなくなります」「対策はこれしかありません」と危機感をあおり、比較や検討の時間を与えないまま契約に持ち込む。この記事をここまで読んでくださった方なら、もうお気づきのはずです。その前提の多くは、正確ではありません

こんな説明・勧誘には、いったんブレーキを

次のようなサインがあれば、その場で決めず、一度持ち帰ってください。

まず不安を煽る──「凍結されます」「家族は何もできなくなります」と、例外や実際の銀行の運用にはいっさい触れないまま断言し、先に怖がらせて判断を急がせる

選択肢を一つに絞る──家族信託なら家族信託だけ、後見なら後見だけを「唯一の対策」として、他の制度や「今は何もしない」という選択肢を示さない

急がせる──「今日中に」「今だけ」「早くしないと手遅れ」と期限を切って考える時間を奪う

いいところだけを強調する──「これで安心」「これだけで解決」とメリットばかりを前面に出す一方、毎月・毎年かかる報酬や管理料、万一のとき(不動産売却・トラブル対応・解約など)に発生する「別途費用」、途中でやめる際の負担といった、不利になりうる点の説明が不十分。総額でいくらかかるのかがはっきりしない

書面を渋る──見積書や契約内容を書面でくれない、比較検討や家族への相談を嫌がる

セミナーから即契約へ──無料セミナーや相談会の直後に、その場で契約を求める導線

ひとつでも当てはまれば黒、というわけではありません。ただ、複数が重なるほど、あなたの利益より契約を優先している可能性が高まります。

落ち着いて確かめる、三つのこと

急かされたと感じたら、次の三つを思い出してください。

相見積り・複数の意見をとる──一か所の話だけで決めない。同じ困りごとでも、提案される制度は専門家によって変わります

必ず書面で残す──費用の総額、続く負担、途中でやめるときの条件を、口頭ではなく書面で確認する

持ち帰って、家族と相談する──その場で結論を出さないことこそ、まっとうな判断です。急ぐ理由が本当にあるなら、翌日でも説明は変わりません

まっとうな専門家は、急がせません。むしろ「本当に今、その契約が必要ですか」と、一緒に立ち止まってくれるはずです。制度を売ることではなく、あなたにとって本当に必要な備えを一緒に考える。それが、相談を受ける側のあるべき姿勢だと、私は考えています。

で、あなたの場合は──口座凍結にどう備えるか

ここまでの内容を、判断の順番に組み替えます。

第1問:いま、法律行為が必要ですか

不動産を売る、遺産分割協議をする、定期預金を解約する──こうした家族では代替できない法律行為が、いま現に必要でしょうか。

必要なら、法定後見の検討に入ります。ほかの制度では間に合いません。任意後見も家族信託も、本人の判断能力が低下したあとでは新たに契約できないからです。

必要でないなら、第2問へ。

第2問:本人の判断能力は、まだありますか

あるなら、選択肢は一気に広がります。任意後見、財産管理委任、家族信託、遺言、見守り契約。本人が自分で選べる時期は、いちばん自由度が高い。この時期を逃さないことが、いちばん大きな違いを生みます。

ないなら、選択肢は法定後見か、当面「何もしない」かに絞られます。

第3問:困っているのは、誰の何ですか

これが最後にして、いちばん重要な問いです。

・「生活費が下ろせない」→ 本当に下ろせていないのか、確認から

・「将来が不安」→ 不安の中身を具体化する。何が起きたら困るのか

・「銀行に成年後見を勧められた」→ その手続に、本当に後見が必要なのか

・「家族が勝手に使わないか心配」→ それは後見以外でも設計できることがある

困りごとが特定できないうちに制度を選ぶと、たいてい高い買い物になります。

最後に

成年後見制度を利用することが目的ではありません。本人が安心して暮らし、その人らしい人生を送れることが目的です。制度は、そのための選択肢の一つにすぎません。

「認知症になると口座が凍結されます」という説明も、「家族がいれば何とかなります」という説明も、どちらも一面しか見ていません。現実は、法律上できないことと、事実上行われていることの間に、けっこうな幅があるという、少し居心地の悪い状態です。その幅を正直に説明したうえで、あなたの家に必要な分だけを選ぶ。それが、私たちの仕事だと考えています。

私たちは制度を勧めるのではなく、本人に本当に必要な支援を一緒に考えます。「今回は何もしなくていいですね」という結論になることも、珍しくありません。

業務範囲について

行政書士が担当できるのは、任意後見契約、財産管理委任契約、死後事務委任契約、遺言などの書類作成と制度設計の支援です。相続人間で争いが生じている場合の交渉・調停の代理は弁護士、相続税など税務の判断は税理士、不動産登記は司法書士の業務となります。判断能力の医学的な評価は医師の領域です。状況に応じて、適切な専門職と連携してご案内します。

出典

・厚生労働省「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」 https://www.mhlw.go.jp/content/001279920.pdf

・最高裁判所事務総局家庭局「成年後見関係事件の概況──令和7年1月〜12月」(令和8年3月) https://www.courts.go.jp/assets/20260316koukengaikyou-r7.pdf

・全国銀行協会「金融取引の代理等に関する考え方および銀行と地方公共団体・社会福祉関係機関等との連携強化に関する考え方(公表版)」(2021年2月18日) https://www.zenginkyo.or.jp/news/2021/n021801/

・東京家庭裁判所・東京家庭裁判所立川支部「成年後見人等の報酬額のめやす」 https://www.courts.go.jp/tokyo-f/vc-files/tokyo-f/file/130131seinenkoukennintounohoshugakunomeyasu.pdf

・法務省「民法等の一部を改正する法律(令和8年法律第45号)」 https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00389.html

・日本弁護士連合会「民法等(成年後見等関係)の改正に関する要綱に対する会長声明」(2026年2月12日) https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2026/260212.html

※本記事は2026年7月時点の情報に基づいています。改正法の施行時期・経過措置の詳細は、今後の政令等で具体化されます。

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