遺言書があってももめる10のケース【前編】

遺言書を残したのに相続争いになるのはなぜか。前編では、遺言能力を争われる/遺留分を請求される/指定した相続人が先に亡くなる/財産が特定できず登記できない/財産の書き漏れ――実務で頻発する前半5ケースと対策を行政書士が解説します。

はじめに ― 遺言は「争いをなくす道具」ではなく、「争いの土俵を決める道具」

「遺言書さえ残しておけば、相続でもめることはない」

これは、相続の現場でもっとも根強く、そしてもっとも危険な誤解の一つです。

実際には、遺言があるにもかかわらず相続でもめるケースは少なくありません。むしろ、遺言によって権利関係や意思が明確になることで、それまで表面化していなかった争点が顕在化し、訴訟にまで発展することもあります。

遺言は、争いをなくす「魔法の護符」ではありません。

誰が何を取得し、誰がどのような権利を主張できるのか。その出発点となる「土俵」を定めるための法的な意思表示です。

だからこそ、その土俵の作り方を誤れば、残された家族は、遺言がなかった場合以上に大きな負担を抱えることもあります。

この記事では、実務で繰り返し目にする「遺言があってももめる10のケース」を、その背景にある法的な構造とともに解説します。全体のボリュームがあるため、前編・後編の2回に分けてお届けします。

遺言の方式(自筆証書・法務局保管・公正証書)の選び方については、遺言書はどれを選ぶ?自筆証書遺言・法務局の保管制度・公正証書遺言のメリット・デメリット徹底比較 をあわせてお読みください。

ケース1:遺言能力を争われる ― 「あのとき父はもう認知症だった」

遺言の効力が争われる場面で、実務上よく問題になるのがこれです。

遺言が有効であるためには、作成時に遺言者に遺言能力(遺言の内容と結果を理解できる判断能力)が必要です。取り分が少なかった相続人が、まず問題にしやすいのがこの点です。

争いになると、次のようなものがすべて証拠として持ち出されます。

なぜもめるのか

判断能力は「あるかないか」の二択ではなく、濃淡のあるグラデーションだからです。「軽度の認知症と診断されていたが、遺言の内容は単純で理解できていた」という状況は、いくらでも争う余地があります。

公正証書遺言なら安全か

大幅に有利になりますが、必ずしも安全とは限りません。 公証人と証人2人が面前で本人の意思を確認した記録は強力な証拠ですが、公正証書遺言が無効と判断された裁判例は現に存在します。公証人は医師ではなく、判断能力の鑑定をしているわけではないからです。

対策

なお、すでに遺言能力をめぐって争いが生じている場合、その解決(遺言無効確認など)は弁護士の領域です。当事務所が力を発揮するのは、そうならないための事前の備えです。

ケース2:遺留分侵害額請求 ― 遺言でも完全には排除できない権利

「せっかく遺言を書いたのだから、自分の希望どおりに財産を渡せる」

そう考える方は少なくありません。しかし、遺言によっても完全には排除できない権利があります。それが遺留分です。

兄弟姉妹を除く法定相続人(配偶者・子・直系尊属)には、法律によって最低限保障された取り分があります。そのため、「全財産を長男に相続させる」という遺言を書いたとしても、他の子は長男に対して遺留分侵害額請求をすることができます。

遺留分の割合

相続人遺留分(遺産全体に対する割合)
直系尊属(父母など)のみが相続人3分の1
配偶者や子などが相続人2分の1
兄弟姉妹なし

この全体の割合を、それぞれの法定相続分に応じて分け合います。たとえば、配偶者と子2人が相続人の場合、子ども1人あたりの遺留分は 1/2 × 1/4 = 1/8 となります。

なぜ深刻なのか ― 「現金がない」という問題

2019年(令和元年)の民法改正により、遺留分を侵害された相続人は、金銭で支払うよう請求できるようになりました。以前のように、不動産の共有持分が当然に戻る仕組みではありません。

その結果、実務では次のようなケースが起こります。

父が亡くなり、相続人は長男と長女の2人。父は、全財産(自宅4,000万円と預金500万円)を長男に相続させる遺言を残しました。
長女の遺留分は4分の1にあたり、長女は約1,125万円の支払いを求めて遺留分侵害額請求を行いました。
しかし、長男には十分な現金がなく、最終的に自宅を売却して支払うことになりました。

「家だけは残してほしい」――そう願って作成した遺言が、その内容によっては、結果として自宅の売却につながってしまうこともあるのです。

請求できる期間にも制限がある

遺留分侵害額請求権には期限があります。

このいずれかを過ぎると、原則として請求できなくなります(民法1048条)。期限が短いため、相続開始直後から話し合いや交渉が始まり、それ自体が家族関係を悪化させる原因になることもあります。

対策

① 遺留分を考慮した財産の配分を検討する

もっとも確実なのは、遺留分をできるだけ侵害しない内容の遺言にすることです。やむを得ず遺留分を侵害する場合には、請求を受けた際に対応できるよう、支払資金についてもあらかじめ考えておくことが重要です。

② 生命保険を活用する

死亡保険金は、原則として受取人固有の財産であり、遺産そのものには含まれません。そのため、多く財産を承継させたい相続人を受取人に指定しておけば、遺留分侵害額の支払資金として活用できる場合があります。

ただし、保険金額が遺産総額に比べて著しく高額で、共同相続人との間に著しい不公平が生じるような場合には、特別受益に準じて考慮されることがあります。

③ 遺留分の事前放棄を利用する

遺留分を持つ推定相続人は、生前に家庭裁判所の許可を得て、遺留分を放棄することができます(民法1049条)。本人の自由な意思によるものであることや、合理的な理由があることなどが審査されるため、簡単に認められる制度ではありませんが、事業承継などで利用されることがあります。

④ 付言事項で思いを伝える

付言事項には法的な拘束力はありません。しかし、「なぜこのような財産の配分にしたのか」という理由や家族への思いを自分の言葉で残しておくことで、相続人の理解につながり、感情的な対立を和らげるきっかけになることがあります。

ポイント:遺留分を完全になくすことは、原則としてできません。だからこそ大切なのは、「請求されないこと」を期待するのではなく、「請求された場合でも対応できる遺言」を考えておくことです。

ケース3:指定した相続人が先に亡くなった ― 遺言が「空振り」する

意外に知られていませんが、実際の相続で起こり得る落とし穴の一つです。

たとえば、父が「自宅は長男に相続させる」という遺言を残していたとします。しかし、その長男が父より先に亡くなり、長男には子(父から見れば孫)がいた場合、この孫が当然に自宅を相続できるのでしょうか。

答えは、原則として「いいえ」です。

「相続させる」旨の遺言は、その相続人が遺言者より先に死亡した場合、特段の事情がない限り、その部分は効力を生じないとされています(最高裁平成23年2月22日判決)。つまり、代襲相続のように孫へ当然に引き継がれるわけではありません。

その結果、その部分の遺言は効力を失い、自宅については遺言がなかったものとして扱われます。そして、相続人全員による遺産分割協議で誰が取得するかを決めることになります。せっかく「長男に相続させたい」という意思を遺言に残していても、その願いが実現しないことがあるのです。

なお、ここでいう「特段の事情」とは、遺言者が、その相続人が先に亡くなった場合には孫などに承継させる意思まで持っていたと読み取れるような事情を指します。実際にそう認められる場面は限られるため、確実に孫へ承継させたいのであれば、次に述べる予備的遺言を用意しておくのが安全です。

対策

もっとも有効なのは、予備的遺言(いわゆる補充遺言)をあらかじめ入れておくことです。

たとえば、

「長男◯◯が遺言者より先に死亡したときは、前項の財産を長男◯◯の長男△△に相続させる。」

といった内容を定めておけば、当初予定していた相続人が先に亡くなった場合でも、遺言者の意思に沿った財産承継を実現しやすくなります。

特に、次のような場合には、予備的な定めを置いておくことを検討するとよいでしょう。

ポイント:遺言は、一度作成したら終わりではありません。受け取る予定だった人が、自分より先に亡くなる可能性も考えて内容を設計しておくことが、本当に「使える遺言」を作るための大切なポイントです。

ケース4:財産の特定が甘く、手続が進まない ― 「有効なのに、スムーズに使えない遺言」

方式は完璧で、遺言としては有効。それなのに、相続手続の現場では預金の払戻しや不動産の名義変更がスムーズに進まない――。これが「有効なのに、スムーズに使えない遺言」です。

法務局の自筆証書遺言書保管制度では、自筆証書遺言が法令で定められた方式に適合しているかを外形的に確認します

ただし、ここで注意が必要です。この確認は、遺言書の有効性を保証するものではありません。

たとえば、他人による代筆であっても、外形上判別できない場合は、その事実まで確認することはできません。また、加除訂正の方式違反や、遺言作成時に遺言能力があったかどうかといった、遺言の有効性そのものに関わる事項も審査の対象ではありません。

そして、もう一つ見落とされがちなポイントがあります。

法務局では、「この遺言書の内容で、実際に相続手続を円滑に進められるか」という点までは確認しません。

つまり、

「法務局で保管された遺言書」=「相続手続が問題なく進む遺言書」ではない

ということです。

言い換えれば、遺言としては有効であっても、財産の記載が曖昧だったり、手続上適切でない表現が使われていたりすると、預金の払戻しや不動産の相続登記などで支障が生じることがあります。

なお、押印は令和8年(2026年)6月24日に公布された民法改正により不要となりますが、本記事執筆時点ではまだ施行されていません(施行は公布から1年以内に政令で定める日とされています)。現在、自筆証書遺言を作成する場合は押印が必要です。

よくある記載例と、起こり得る問題

遺言書では、「誰に」「何を」承継させるのかが、第三者にも客観的に特定できることが重要です。

記載例起こり得る問題
「自宅を長男に相続させる」不動産の表示が曖昧だと、どの不動産を指すのか特定できず、登記申請で補足資料の提出や確認を求められ、手続が円滑に進まないことがあります。所在・地番・家屋番号など、登記事項どおりに記載することが望ましいでしょう
「預金は長女に相続させる」金融機関名・支店名・預金種別・口座番号などの記載がない場合、口座の特定が難しくなり、金融機関から追加資料を求められたり、払戻しに時間を要したりすることがあります
「財産の半分を妻に相続させる」相続分の指定としては有効ですが、どの財産を誰が取得するのかが決まらないため、相続人間で協議が必要となり、遺言だけでは手続が完結しない場合があります
「長男に家督を継がせる」「家督相続」は現行民法には存在しない制度です。どの財産を承継させる趣旨なのかが明確でないため、解釈をめぐって争いになるおそれがあります

「相続させる」と「遺贈する」は、似ているようで違う

遺言では、一語の違いが相続手続に影響することがあります。

相続人に財産を承継させる場合は、

「◯◯を長男△△に相続させる

と記載するのが一般的であり、実務上も手続が進めやすいとされています(特定財産承継遺言)。

一方、相続人以外(内縁の配偶者、孫、友人、法人など)に財産を渡す場合は、

「◯◯を△△に遺贈する

と記載します。

一語の違いが、その後の相続手続や登記、金融機関での手続に影響することもあるため、遺言書では適切な用語を用いることが大切です。

対策

法務局の自筆証書遺言書保管制度は、遺言書を安全に保管し、家庭裁判所での検認を不要にできる便利な制度です。

しかし、法務局が確認するのは、遺言書が法令で定められた方式に適合しているかという外形面までであり、「この内容で相続手続が円滑に進むか」までは審査しません。

保管手数料3,900円は、遺言書を保管し、検認を不要とする制度の利用料であり、遺言内容の有効性や実際の相続手続の円滑さまで保証するものではありません。

法務局が確認するのは「方式が整っているかという外形」、専門家が確認するのは「その内容で手続が進むかどうか」です。

「有効な遺言書」を作ることと、「実際に使える遺言書」を作ることは、必ずしも同じではありません。

相続開始後にご家族が困らないためにも、法務局へ預ける前に一度、行政書士や弁護士などの専門家による内容の確認を受けることをおすすめします。

ケース5:財産の書き漏れ ― 「受け皿条項」がないと、結局みんなで話し合うことに

遺言書に記載されていない財産が後から見つかると、その財産については、改めて相続人全員で遺産分割協議をしなければならない場合があります。

実際には、

など、遺言書に記載されていない財産が後から見つかるケースは決して珍しくありません。

「家族がもめないように」と遺言を書いたにもかかわらず、10万円ほどの預金のためだけに相続人全員が集まり、遺産分割協議を行うことになる――。そして、その話し合いをきっかけに感情的な対立が再燃してしまうことも、実務では少なくありません。

対策

こうした事態を防ぐためには、受け皿条項(残余財産条項)を設けておくことが有効です。

たとえば、

「前各条に記載のない遺言者の有する一切の財産及び債務は、妻◯◯に相続させる。」

といった条項を入れておけば、遺言書に記載されていない財産が後から見つかった場合でも、その財産の帰属を明確にしやすくなります。受け皿条項を設けておくことで、書き漏れが原因となって改めて遺産分割協議が必要になるリスクを、大きく減らすことができます。

なお、「債務は妻に相続させる」という記載は、相続人の間で誰が負担するかを定めるものであり、債権者を拘束するものではありません。債権者は、各相続人に対して法定相続分に応じた返済を求めることができる点にご注意ください。


前編のまとめ ― そして後編へ

ここまで、前半の5つのケースを見てきました。

前編の5ケースは、いずれも「遺言そのものの効力」や「財産の書き方」に関わるトラブルでした。共通しているのは、書いた時点では気づけず、相続が始まって初めて表面化するという点です。

後編では、視点を「作成」から「その後の手続」へ移します。遺言執行者・検認・生前のお金の動き・相続手続の期限といった、遺言を実際に動かす段階で生じるケース6〜10を取り上げ、最後に10のケース全体をふまえた「もめにくい遺言をつくる7つの原則」をまとめます。

👉 続きはこちら:遺言書があっても相続でもめる10のケース【後編】― 執行・検認・生前のお金・期限、そして設計の原則


※本記事は2026年7月時点の法令に基づいて作成しています。2026年6月24日に公布された民法改正(自筆証書遺言の押印義務の廃止など)は、本記事執筆時点ではまだ施行されていません。本記事は一般的な制度の解説を目的としたものであり、個別の事案について法的判断を示すものではありません。具体的な事情については、行政書士・司法書士・弁護士・税理士などの専門家へご相談ください。

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